十勝の事業創発につながる企業の取り組みを、LANDスタッフが取材し掲載する「LANDSCAPE」!
十勝・本別町で寿司店「源すし」や「ホテル和さび」など、食や観光に関連する事業を次々と立ち上げている池田圭吾さん。人口減少や諸産業の変化などの状況の中で、次々とチャレンジを続ける池田さんに、事業継承や新事業に込める思いについてお話を聞きました。(聞き手:LAND高橋)
有限会社源すし、株式会社いけ乃 池田 圭吾さん
プロフィール
池田 圭吾さん(いけだ けいご) 代表取締役1981年、北海道・本別町生まれ。北海道工業大学(現北海道科学大学)卒。スキー場勤務ののち、働きながら調理師専門学校で学び、札幌の和食料理店で3年間修行する。2007年に本別に戻り、父の営む「源すし」で働き、その後二代目として代表を受け継ぐ。現在は有限会社 源すしに加え、株式会社いけ乃、有限会社 本別葬儀社、の3社の経営に携わっている。趣味はゴルフ。
――まずは「源すし」についてお聞きしますが、1987年にお父様が創業されたということで、その頃のことについてお聞きしてもよろしいでしょうか?
(池田さん)そうですね。父はずっとスーパーで鮮魚担当をしていて、50歳のときに脱サラして寿司屋を始めたんですよ。その点、僕は現在43歳なので、当時の父のスタートラインにも追いついてないんですね。50歳からでも何でもできるんだな、という(笑)。
──「50歳からでも何でもできる」、いきなりパワーワードが出ましたね(笑)。池田さんはどういった道のりで源すしに入社されたのでしょうか?
(池田さん)もともと小・中学生くらいまでの将来の夢は「寿司屋」って書いてて、店の手伝いもしてたんですけど、高校生の頃には少し気持ちが離れてしまいました。当時は数学が好きだったので、理系の大学に進もうと思い、北海道工業大学(現・北海道科学大学)の建築科に入学し、大学ではスキー部に入ったんですが、部活だけの大学生活という感じになってしまい、遂にはスキー場に就職しインストラクターとして働くようになりました。働いてるうちに、だんだんと大学にまで行かせてくれた親へのありがたみを感じるようになってきて、たまに実家に帰って店を手伝ったりしているうちに料理の道に進もうかな、と思うようになったんです。 将来的に本別町に戻って家業を継ぐつもりでスキー場の仕事を辞め、料理の修業を始めました。まずは昼に調理学校に通い夜は料理屋働く、という暮らしを1年続け、調理学校を卒業したのちに料理屋に就職する、という流れでしたね。実家に戻って源すしで働きはじめたのは2007年、27歳の時です。その時、父は70歳だったので、母から「まだ少し早いかもしれないけど、戻ってきてほしい」という打診があったことがきっかけとなりました。
(左建物:源すし、右建物:ホテル和さび)
──2024年現在、源すしの代表になってから10年ほどが経ったところかと思いますが、仕出し屋さんの承継や、ホテルの開業、更には葬儀社など、多角化を進めていますね。経緯や意図について教えてください。
(池田さん)仕出し業、葬儀社、どちらもそうなのですが、もともと本別町でやっていた方が事業を辞められるという話を聞いたのがきっかけです。ホテルの開業も、冠婚葬祭の催しが行われていた「津村会館」の閉館の話から、今につながっています。 全てそうなのですが、町に1つしかない事業であったので、無くなったら町のみんなが困るわけです。誰かがやらないと、その仕事は地域外に全部出ていってしまいます。
──なるほど。もともと計画していたというわけではなく、地域の中で必要な事業を残していきたいという思いが、結果的に事業の多角化につながっているわけですね。
(池田さん)そうですね。できるうちは「地元のことは地元で」というのを、もがきながらやっている感じですね。地域の中に、ある業種の事業者が地域に1つしかいないとしたら、その「1」が「0」になってしまうことはできるだけ避けたい。最低限「1」の状態で残したいなと考えていて、3つが2つになったり2つが1つになったりするのは、地元の人たちからすれば寂しいかもしれませんが、残った1つのお店の人からすれば、2件分の仕事が自社に来るとしたら、いい話かもしれないじゃないですか。でも「1」が「0」になってしまうものは残したい。仕出し屋さんにしても、葬儀社にしてもそういう思いがありましたね。
──これから先、人口が減っていく中では、色々な面で1が0になってしまうことが増えていってしまうかもしれませんね。
(池田さん)そうですね。もちろん思いがあってもボランティアではできないので、やはり「ビジネスチャンスがあるのか」「やっていけるのか」という意識がないといけない。自分で言うのもなんですが、今まで「上手くいくんじゃないか」と感じたことは大体うまくいってるんですよね。逆に言うと迷ったものは大体失敗しています(笑)。例えば、新商品とかで「これ売れるかな?大丈夫かな?」と思って出したものは大体イマイチですね(笑)。
──2022年に開業した「ホテル和さび」の立ち上げ経緯、資金調達についてお聞かせてください。
(池田さん)コロナ禍に入ったとき、津村会館の予約が全く入らなくなり、自分の寿司屋自体も危ない状況になりまして。それで何かやらなきゃなと思って、テイクアウトなどいろんなことやりながら、なんとか乗り切ったんですが、その時に「事業再構築補助金」の情報が商工会の仲間などから入ってきました。そのときに「宿泊事業をやろう」と思いました。食と宿泊はつながっていて、全然畑違いなことでもないし、「食」を強めに押し出せばお客さんも来てくれるんじゃないかな、と考えました。商工会の職員の方と毎日のように打合せしながら2ヶ月間で構想を練りました。無事採択され、喜びやワクワクもあったんですが、これから先の人生どうなっちゃうんだろうという不安もありました。
補助額は最大6000万円だったんですが、申請額は1億5000万円で出していたので、結局残りの9000万円は銀行からの借り入れです。最終的には事業費が総計2億2000万くらいになりまして、1億4000万円の借り入れを20年で組んで毎月返してるんですけど、今43歳なので返し終える20年後には60歳を越えているわけです。その時に「一生懸命に働いて、融資をようやく返し終わっただけ」となると「俺の人生、何だったんだろう?」となってしまうな、と思いまして(笑)、今は10年で返そうという計画を立てています。10年で返せたら、まだ50歳超えたくらいなので、もう1回くらい大きいことができるんじゃないかな、と。
──すごいバイタリティですね…。ホテル事業の計画段階で需要予測を立てたのではと思いますが、今の状況はどうでしょうか。
(池田さん)当初の、銀行がゴーサインを出せる最低ラインの稼働率の見込みからすると、思ったより全然いい稼働率になっていて、売り上げも当初の計画を上回っています。現在では、ホテルは新しいスタッフにほとんど任せていますし、別法人でおこなっている仕出し屋「お料理 いけ乃」も、以前本別町内で仕出し事業をおこなっていたスーパーで働いていた方が責任を持ってやってくれています。
──全体で何人くらいのスタッフがいますか?
(池田さん)源すしとホテルで 30 人ぐらい、仕出し屋で 5 人、葬儀社で 10 人ぐらいですね。人材的には今はすごく恵まれていますね。例えば、仕出し屋はお弁当もやっているので忙しいのは大体12時くらいまで。飲食店はちょうどその時間から忙しくなるので、仕出し屋のスタッフに源すしに来てもらったり、各事業間で時間帯や曜日ごとに人を融通し合うことができているんです。
──異なる業種の組み合わせがスタッフの雇用にも活きるんですね。各町村にそれぞれ源すしさんのようなモデルがあってもいいと思いました。人口減少や経済環境の変化を踏まえて、各町村でこれからどんな事業が必要なのか、改めて考えるタイミングなのかもしれませんね。
(池田さん)例えば、家族経営の飲食店をこれまでのスタイルでやっても、あまり給料って変わんないよね、ってよく話すんですよ。10倍の売り上げあったとしても給料が10倍になるかというと、それはまた違う話じゃないですか。けれども、地域の中で雇用が増え、仲間が増えて、という点では町のためにはなってるのかもしれないな、と思います。
──そうですね。30人のスタッフとともに、地域の中から無くなるかもしれなかった業種を維持することで、地域内の生産に確実に寄与していますよね。
──本別町に関しても少しお聞きします。これまでの統計を見ると、本別町は年間100人弱くらいずつ人口が減ってきているようですが、事業を進めている上で、人口減の影響を実感するということはありますか?
(池田さん)それはあまりないです。本別はもともと飲食店が多い方だと思いますが、宴会の集まる人数や回数は減ってるだろうなとは思っています。ただ、そこを嘆いてもしょうがないかな、という考えですね。例えば、陸別町は人口2,000人ぐらいだと思うんですが、そこに寿司屋と居酒屋と、2次会会場として利用できるお店があるんですけど、みんな儲かってるんですよ(笑)。陸別町民からしたら「選択肢がなくて寂しい」とは言いますが、それぞれのお店、会社的にはいいことなんですよね。お店だけじゃなく、町民もみんな楽しそうだし、幸せそうだし、幸福度は人口で測るものじゃないと思いますね。今の本別町は6,000人もいるし、まだまだ仲間もたくさんいる。そこまでネガティブになる必要はないのかなと思っています。
──今後の構想として、本別町の空き家を取得して宿泊施設として整備する事業をスタートしたそうですね。
(池田さん)町内で空き家が増えていくという状況はずっと見ていました。おかげさまでホテルは夏季は満室が続いていて、お断りすることが多かったことと、基本的にビジネス利用想定でシングル部屋なので、家族連れのお客さんもお断りしてしまっている状況なんです。そこで、本別町内の空き家を取得し、リノベーションして泊まれるようにすることで、家族連れの方でも来ていただけるようにしたいと考えています。町としても空き家対策になりますし、ビジネスとして面白いんじゃないとかな、と思っています。今まさに工事中で、2024年4月のオープンを目指しています。他の空き家も見させてもらいながら、資金面の課題にも取り組みつつ、その後も動きを見ながら増やしていけたらなと思っています。
その他、今インバウンド向けの寿司の握り体験を構想しているんです。やっぱり結局は寿司屋の強みを生かす、という方向性で、寿司の握りを外国の方々に体験してもらえば喜んでもらえるんじゃないかなと思いますし、寿司文化の普及にも繋がるんじゃないかな、と。それで、2回ほどお試しでやってみたところ大変好評でした。寿司をテーマに、世界中の人と触れ合えるといいなと思っています。連携できそうな方がいましたら、是非お声がけいただけたらと思います。
本別町に必要な事業を残す、という池田さんの考えのベースには、町や家族、仲間への愛情があると感じました。「1が0になるのは見過ごせない」「幸福度は人口で測れない」「異なる事業間でのスタッフの融通」など、地域で多様な事業をおこなってきたからこその観点には、地域の産業振興をミッションとする我々とかち財団にとっても、学ぶことが多くありました。池田さんが50代になった頃に、どんな取り組みが始まるのか、長い時間軸の中でも楽しみにしています。
帯広市経済部経済企画課、フードバレーとかち推進協議会
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