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株式会社ソルプレーサ・イノベーションズ

大久保 航也さん

#56「ケガと挫折を繰り返す壮絶なフットサル選手人生の後に得たのは、北海道No.1のチームと起業家としてのポジション」

十勝の事業創発につながる企業の取り組みを、LANDスタッフが取材し掲載する「LANDSCAPE」!
短期間で北海道No.1に上り詰めたフットサルチーム「ソルプレーサ十勝」の運営会社(株)ソルプレーサ・イノベーションズの大久保航也代表をインタビュー。国内外で活躍したフットサル選手としてのキャリアから一転、地域活性化の実行役へとその歩みを進めた異色の経歴を持つ人物です。海外でのプレー経験や多くの挫折を乗り越えた大久保さん。スポーツとビジネスの融合で十勝を活性化させる想いの源とは?

株式会社ソルプレーサ・イノベーションズ 大久保 航也さん

プロフィール
大久保 航也さん(おおくぼ こうや) 代表取締役

帯広市出身→イタリア→ドイツ→東京→ドイツ→東京→2021年Uターン。帯広緑陽高校卒業後、フットサル選手へ。19歳でイタリアに渡り、選手として活動しながら海外の短大で学業にも励み、国内・海外の複数クラブでプレーした後、23歳で第一線から引退。帰国後は、東京にて商社の外資系繊維部門の会社でファッションブランドのセールス業務を経験。その後地元である十勝にUターンし、医療関連の会社での勤務や仙台本社のITベンチャーの企業の北海道エリア長等の経験を経て、飲食事業、スポーツ事業、IT事業を展開する「株式会社ELF」を25歳で設立。現在は清水町にて地域活性化プロジェクトの推進リーダー、鹿追町にて教育支援業務にも携わっている。

19歳の決断から4年間で2カ国にわたりプレー。繰り返される挫折と決意。


フットサル選手として海外に挑戦したきっかけを教えてください。

(大久保さん)高校卒業後、フットサルのプロリーグ(Fリーグ)のエスポラーダ北海道に入団し、サテライトチームでプレーしていたのですが、「このままではダメだ」と感じ、環境を変える必要があると思いました。漠然と海外への憧れがあり、19歳の夏にイタリアへの渡航を決意しました。イタリアではサッカー文化が根付いており、学生ビザを取得して、学業と両立しながら選手としてプレーを続けました。


19歳にしてイタリアでプレーすることを決意するなんてすごいですね!イタリアでの生活やプレーについて詳しく教えていただけますか。

(大久保さん)イタリア・トスカーナ州のキャンチャーノテルメが本拠地の4部チームでプレーしました。就労ビザが取得できず、学生ビザを取得したこともあり、ローマの学校やオルビエートのインターナショナルスクールで学び、おかげでサッカーと学業を両立させることに繋がりました。朝9時から16時までは学校に通い、その後に練習。給与をもらいながらプレーできたことは有り難かったです。それ以上に、現地の街には日本人はいなかったので、街の人達には大変良くしてもらい、お世話になりました。交流は今でも続いているんです。子どもたちとサッカーしたり、現地の方々にはご飯に呼んでいただいたり、大変だったこともありますが良い思い出ばかりで、イタリアでの経験は非常に価値がありました。


その後のキャリアについて、どのような変遷がありましたか?

(大久保さん)イタリアに渡って8ヶ月経った頃、突如ドイツブンデスリーガーの名門クラブ〝カールスルーエ〟というクラブの練習に参加することとなりました。このときは、ワーキングホリデーで入国し、90日間滞在したころ、不運にも所属する予定だったU21チームが経営危機で解体。どうしようか迷う中で日本に一時帰国しました。その時にU22のフットサル東日本関東選抜のキャプテンとして国際大会に参加する機会をいただいたんです。大会の開催国はイタリア。奇しくも決勝戦は、古巣トスカーナのチームでした。破れはしましたが大きな経験となりました。その後、日本のクラブのからのオファーがあったものの、怪我(腰椎分離症の再発)によりリハビリを余儀なくされました。


チャンスが訪れると襲う腰椎分離症


アスリートとしてのキャリアから離れた後、どのような活動をしていましたか?

(大久保さん)フットサルを続けながら、アルバイトで生計を立てていました。その後、リガーレ東京(現在のリガーレヴィア葛飾)に声をかけてもらい、練習環境の居場所をいただきながらも、首の皮一枚でフットサル選手として活動していました。試合に出ることはなかったですがリガーレの皆様には今でも感謝の想いでいっぱいです。その後2019年、ドイツのF95デュッセルドルフのフットサルチームへのチャンスが来るんです。しかし、喜んだのもつかの間、外国人枠の問題で契約に至りませんでした。その時に、セカンドキャリアを意識しはじめたんです。
理由は簡単でした。見渡せば、大学に進学した同級生が企業にインターンをしたり、教育実習や就職活動をしていたときで、なんとなく同級生たちに引け目というか、「俺何やっているんだろう」と考え直したんです。
これを機に、私が選手時代からお世話になっていた医療系の企業に就職しました。それでも、フットサルは続けていきたいという思いもあり、2019〜2020年にかけて、プロチームのセレクション試験を受け、合格しつつもコロナで入団が延期になるなど、もがいていた時期もありました。


フットサル選手として上を目指すキャリアに終止符を打った理由は何ですか?

(大久保さん)選手時代の後半は怪我やコロナなど不運が重なり、当時は「もう無理だ」「こんなについてない人生ってあるのだろうか」とどん底でした。それでも、2020年、23歳の頃に、日本サッカー界のパイオニア「東京ヴェルディ」のフットサルチームからお話がありました。U22歳の選抜チームの指導者から電話でした。ヴェルディの監督で今でもお世話になっている元日本代表の相根さんと電話でお話しもして、入団を決めました。

入団後は、選手活動の他、相根監督と共に全国数カ所を回りながら子供達と関わる活動ができました。ヴェルディも地域との交流に力を注いでいて、サッカー(スポーツ)を通じて、地域の盛り上がりを肌で感じ、そのときにスポーツの凄さを知りました。それでも、やはり私の人生に不運はつきもの。3度目の腰椎分離症。加えて左足首の靭帯損傷の怪我も経験。
色々なことも重なり選手として上を目指すことから退く判断をしました。もともと、高校卒業後、親には合格していた進学を蹴って、フットサル選手の道に進んだので「23歳(大学卒業の歳)まで芽が出なかったら辞める」と約束もしていました。両親は覚えてるかわからないですが。


アスリートから経営者に転身「自分の価値は何か?」


引退後、どのようにして現在の道に進むことになったのですか?

(大久保さん)引退を機に、自分の経験を生かして他の選手を支えたいと思いました。ヴェルディの寮で一緒だった同期の選手にも、退団するときにユニフォーム交換をしながら「おまえは選手として活躍してほしい。俺はビジネスで成功して、スポンサーになる」と約束したんです。昔からビジネスに興味もあったので、多くのビジネス書を読んできましたし、退団後は、士業やFP(ファイナンシャルプランナー)の勉強、ITやウェブデザインを学び、起業への道を歩み始めたんです。


引退後、すぐに十勝に戻ってきたのですか?

(大久保さん)実は引退後、東京に残っていました。高島屋や小田急で外資系のラグジュアリーブランドやハイブランドの販売員として働いていました。人と話すのが好きで、ファッションも好きだったので接客業にも自然と馴染めました。売り上げが一時、全国1位になるなど、販売員が天職だと感じていたほどなんです。当時は雑誌媒体や芸能関係にも携わることができ本当に素晴らしい経験を積めたと思っています。


アスリートからの転身をどのように捉えていましたか?

(大久保さん)アスリートではなくなった時に「自分の価値は何か?」と深く考えました。競争の世界で生きてきたので、仕事でも競争を恐れず、リテールマーケティングの資格を取るなど努力し続けました。常に自分を追い込み、成長したいという思いがあったからですね。そういった意味では、一生アスリート魂かもしれません。


十勝に戻る決意をした理由は何ですか?

(大久保さん)応援してくれた方々が沢山十勝はいましたし、祖父を亡くしたことや、コロナの影響で帰郷できなかった時期が長かった経験が大きく影響しています。お世話になった地元や人たちにに少しでも恩返しをしたいという思いが強かったからですね。


ソルプレーサ十勝が北海道No.1へ。そして30社以上のスポンサー企業とのつながり。


十勝に戻ってからの活動について教えてください。

(大久保さん)十勝に戻ってからは、選手時代から個人スポンサーとしてお世話になっていた企業で働きながら地域のフットサルチームに所属してプレーしていました。そのチームこそ現在私が運営側として携わっているソルプレーサ十勝の前身のチームです。私が所属したばかりの頃は北海道リーグ下位のチームだったため、当時の私の目標は、このチームを強化することと応援される価値のあるチームを作ることでした。
企業で働きながら選手としても活動していたとある頃、地元の飲食店の事業継承の話をいただき、周りの支えや応援もあり、起業に挑戦しようと決意し、現在の株式会社ELFを設立しました。ELFではITコンサルティング、スポーツマーケティング、海外留学を希望する学生や選手のキャリア支援や飲食店の経営など多方面で事業展開しています。今後はスポーツを通じた地方創生に力を入れていきたいと考えています。


前身のチームから現在のソルプレーサ十勝ができた経緯やこれまでの成長について詳しく教えてください。

(大久保さん)前述した通り、ソルプレーサ十勝の前身のチームは北海道リーグで下位でした。そのため、私は自らキャプテンとしてチームを牽引しつつ、並行してチームのマネジメントも行いました。その後、同じビジョンのもと札幌のチームと合併し、「ソルプレーサ十勝」ができました。チーム合流後、1年(2022年)で15社のスポンサーを獲得したり、ついには北海道リーグで優勝を果たすことができるチームへと成長しました。



2023年4月からソルプレーサ十勝が始動したとのことですが、具体的な変化について教えてください。

(大久保さん)ソルプレーサ十勝が正式に始動して以来、選手数も倍増しました。また、企業スポンサー営業も積極的に行い、スポンサー企業数を30社まで増やすことができました。地元企業の社長さんたちとのつながりを大切にして、チームとしての評価を高めることができたと感じています。


チームを強化しつつ、資金面でも多くのスポンサー企業を獲得して、地域企業との連携を深めていったのですね。大久保さんは今後ソルプレーサ十勝をどのようなチームにしていきたいと考えていますか?

(大久保さん)チームとしては、プロリーグ昇格を目指して活動していくことはもちろんですが、ただフットサルチームとして強くなるだけでなく、地域と繋がり、愛され、応援されるようなチームにしていきたいです。そしてスポーツの力で地域活性化を実現させていきたいと考えています。


2024年3月、新会社「株式会社ソルプレーサ・イノベーションズ」始動


スポーツの力で地域が盛り上がるのはとても素晴らしいですね。実際に地域活性化に向けた活動はどのようなことをされているのですか?

(大久保さん)2024年の春にソルプレーサ十勝の運営会社、十勝を基盤にスポーツで地方創生を体現するようなスタートアップ組織を目指し、株式会社ソルプレーサ・イノベーションズという新しい法人を株式会社そらの協力もあり清水町で立ち上げました。ソルプレーサ十勝の本拠地も帯広から清水町に移しました。そして、清水町とは包括連携協定を結び、町内のスポーツ指導者の人材育成や発掘、アンダーカテゴリーの子どもたちへの指導などを行なっています。今後は地域や地域企業全体を巻き込んだ新たな取り組みも構想しており、スポーツを通じた地方創生を実現していきたいと考えています。

包括連携協定締結式



他にも地域活性化に向けた取り組みをしているとお聞きしていますが、具体的にどのような取り組みか教えていただけますか?

(大久保さん)現在、清水町とジェイアール東日本企画が連携した地域活性化の取り組みが進行しています。私はそのプロジェクトの推進リーダーとして関わっており、具体的には清水町で起業を目指しす「地域プレイヤー」の発掘と育成を行なっています。すでに1年目が経過しており、実際に数人が地域プレイヤーとして清水町で活動してくれています。他にも、現在清水町だけでなく、十勝の西部エリアの鹿追町とも連携し、ソルプレーサ十勝の選手が各地域に移住し、地域の仕事に携わるなどして、地域貢献につながるようチーム一丸となって取り組んでいます。


最後に今後の目標や意気込みを聞かせてください。

(大久保さん)私はイタリアやドイツなど海外で選手としてプレーしていましたが、海外ではフットサルなどのスポーツが地域の文化としてとても根付いていました。試合があれば地域の人たちが仕事を休んでまで応援に来てくれるような、そんな地域に愛され、応援されるチームで私はプレーをすることができていました。こんなにもスポーツが地域文化として根付いていて、スポーツで地域が盛り上がる環境に本当に感動しました。なので私も地元であるここ十勝でスポーツを通じた地域活性化に貢献し、十勝をスポーツ文化が根付く地域にしていきたいと考えています。今では選手数はTOP、セカンド合わせて30名を超え、フロントスタッフも合わせると40人を超える組織です。自分を信じて十勝に来てくれたメンバーも沢山います。今年から清水町御影でアカデミーもスタートしました。子供達や親御さんのためにも代表として責任と自覚を持って組織を成長させていきたいです。
ソルプレーサ・イノベーションズとしてはスポーツ分野でのスタートアップ組織を目指しています。自治体や地域企業と連携した新たな事業展開に向けて現在準備も進めています。ただのスポーツチームではなく地域のHUB機能を持ち、地域共創型クラブとしてフットサルを入り口に十勝が活性化する取り組みを行なっていく予定ですのでぜひ楽しみにしていてほしいです!そして沢山の方に少しでも応援したいと思ってもらえるよう、メンバー全員頑張っておりますので是非、ご声援のほどお願いいたします。


編集後記
19歳という若さで海外でプレーすることを決意し、たくさんの障壁が立ちはだかっても、それを乗り越えてきた大久保さん。インタビューの中では、終始たくさんの方のサポートがあったからこそ今の自分があると、周囲への感謝の気持ちを述べていました。その姿勢やアクティブに挑戦し続ける姿勢が周囲の人の共感につながり、スポンサー企業獲得や地域との連携につながっているのではないかと感じました。今後十勝地域がスポーツの力でさらに発展していく未来がとても楽しみです。

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